東麻布にひっそりと佇む名門「富麗華」は、その建築や空間美以上に、料理という一点で真価を問われる場所です。
中華という枠を超えて「美味」を突き詰めた一皿一皿は、もはやアートの領域に近い。本稿では、華やかなサービスや設え以上に注目すべき、富麗華の料理そのものにフォーカスし、そこに込められた技術と思想の深さをお伝えします。

店舗情報
個室:7室、大広間あり(接待や会食にも最適)
店名:富麗華(ふれいか)
住所:東京都港区東麻布3-7-5
電話:03-5561-7788
最寄駅:麻布十番駅(都営大江戸線6番出口/南北線3番出口)
営業時間:ランチ 11:30-15:00(L.O.14:00)/ディナー 17:30-22:00(L.O.21:30)
定休日:無休
「富麗華」
伝統を継ぎ、革新を重ねる名門中華の真髄
富麗華は、上海と広東という異なる二大料理文化を、分けるのではなく融合させることで独自の道を築いてきました。
上海料理特有の濃厚な味わい、そして広東料理に見られる素材重視の洗練。それぞれの良さを中途半端に取り入れるのではなく、一品ごとに設計図があるかのように構築された料理が並びます。メニューの豊富さではなく、味の設計・香り・温度・食感まで含めて「どの瞬間に、どの風味を感じてほしいか」が計算されていること。それが「富麗華の皿」に共通する空気感です。
「黒炒飯」に見る、技術の極地と余白のない火入れ
たとえば「黒炒飯」。
見た目はシンプルながら、これほどまでに手がかかり、完成度が高く、記憶に残る炒飯はそう多くありません。
牛挽き肉を炒めて出た脂を活かし、香ばしいたまり醤油をまとう米に旨味を染み込ませる。強火の鍋の中で、卵黄と松の実が立体的に香りを放ち、口の中で層を成していきます。
驚くべきは、最後の一粒に至るまで味のバランスが保たれていること。香り・食感・温度の三位一体が崩れず、食べ終わった瞬間に「もう一度、初めの一口を味わいたい」と思わせる後引きの強さがあるのです。
「フカヒレの醤油煮込み」がもたらす重厚な時間
富麗華の真骨頂は「名物 壺入りフカヒレの醤油煮込み」にあります。
上質なヨシキリザメの尾ビレを、特製のたまり醤油で長時間かけて火を入れ、壺の中でしずかに旨味が融け合っていく。この料理に出会ったとき、誰もが「これは料理というより儀式だ」と感じるはずです。
スプーンを入れるたびに、フカヒレの繊維がゆっくりとほぐれ、甘さ・深さ・塩気が押し寄せる。
そして、口に含んだ瞬間に訪れる「沈黙」。言葉が出ないのは、美味だからではなく、「味覚の領域を超えてしまった」ことを感知するからでしょう。
「春巻」ひとつで、料理人の設計思想が伝わる
たとえば前菜で供される春巻にも、富麗華らしい考え方が見えます。
ぎゅっと巻かず、あえて空洞をつくりながら包むことで、揚げたときに皮の内側まで均一に火が入り、冷めてもなおパリッとした食感が保たれるように設計されています。具材も豚肉・鶏肉・黄ニラ・筍とシンプルながら、その配合と包む厚さは、数ミリ単位で最適化されているような精度。一口食べれば、「これはただの点心ではない」と誰もが悟ります。単純にうまいで片づけられない、作り手の深い配慮が伝わる味なのです。
「黒酢の酢豚」が静かに放つ、革命性
甘み、酸味、香ばしさ、そして柔らかさ。
すべてが完璧に調和した富麗華の「黒酢の酢豚」は、食べ手の先入観を解体する一品です。
肉は肩ロース。2度揚げによって外は軽く、中は驚くほどジューシー。
そこに絡む鎮江産の黒酢をベースにしたたまり醤油ダレは、酸味の角を取りつつ、芯のある甘みと複雑なコクを生み出します。
この酢豚に驚くのは、どんな料理経験者でも同じです。
「よく知っている料理」のようでいて、実はまったく新しい。
そう、富麗華の酢豚は、“知ってるつもり”を一度ゼロに戻す料理なのです。
技術と素材がぶつかり合う「点心」
点心に関しては、点心師が店内の厨房で仕上げのみを担当し、本制作は本店で。
この「分業」かつ「統一された温度感」が、富麗華の料理の強さです。皮の厚み、包みの向き、蒸気の入り方、提供タイミング…。すべてがデータのように制御されているようでいて、実際は「感覚」で完結しています。それは、長年の経験が生み出す直感と技術が融合しているからこそ、なせる技です。
なぜ食通たちは富麗華に通うのか
初めて訪れたときよりも、二度目、三度目のほうが感動が深くなる。
そんな店はそう多くありません。
富麗華は、その希少な例の一つです。
ここに通う人々は、華美な演出や流行の盛り付けに惹かれているわけではありません。彼らが重視しているのは「味の記憶」です。
一皿一皿が持つ設計、つまり“どういう順番で味が変化するか”“どの温度で香りが立ち上がるか”“食感がどう移ろうか”といった計算された構造に対し、信頼を寄せているのです。
「美味しかった」では終わらない。
食後にふと、香りや食感を思い出し、再びあの皿に会いたくなる──。
それこそが、富麗華が“選ばれる側”であり続ける理由です。
また、誰かと食事を共にする場として選ばれるのも、この店ならではの特性です。
富麗華の料理は、食卓を“会話の邪魔”をしない。
むしろ、食べ終えた後にふと沈黙が訪れ、相手と味の余韻を共有する時間が生まれる。
だからこそ、「相手に印象を残したいとき」「深い関係を築きたいとき」に、自然とこの場所が選ばれるのです。
そして何より、この店の料理は素材そのものよりも、どう調理し、どう設計したかという知性が際立っています。
金華豚も、フカヒレも、黒酢も、一流店ならどこでも仕入れることができます。
しかし、それを「物語に変える力」があるのは富麗華だけです。
富裕層の中には、国内外の有名レストランを巡り尽くした「本物の食通」も少なくありません。
そうした人々が何度も足を運ぶという事実こそが、富麗華の料理が「見た目」でも「ブランド」でもなく、「味の記憶」で選ばれている証といえるでしょう。
「味の完成形」ではなく「問いかける料理」
富麗華の料理は、「完成された味」ではありません。
むしろ、「どう感じるか?」をこちらに問うてくる皿ばかりです。
香りの立ち上がり、余韻の残し方、重ねる順番。すべてが、「食べ手が参加する料理」として成立しています。
食べているうちに、ふと気づくことがあります。
「この料理は、作り手が“信頼”を前提にしている」。
味を押し付けず、ただ黙って、問いかける。そんな大人の距離感が心地よい名店なのです。