六本木といえば、首都を代表するラグジュアリーな街と言っても過言ではないはずです。高層ビルもそうですし高級レストラン、華やかなナイトスポットが集まる東京有数の繁華街の側面も持っています。
そんな魅力的な六本木ですが、皆さんは「六本木」のことをどのくらい知っていますか?
まず挙げておきたい謎の1つは、六本木という名前です。
普通に考えれば、昔この場所に6本の木があったのだろう……と思うかもしれません。
ところが、よくよく調べてみると、さまざまな説が浮上し、話はそう単純ではなかったことが見えてきました。
大名の名前から生まれたという説もあれば、江戸時代の人々ですら由来がわからなかったという記録もあります。
さらに六本木周辺には、抜こうとしても抜けない石や、呪いをかけられた松など、なんとも不可思議な伝説まで残されています。
六本木で高級クラブを営むローゼとしては、仮に、この六本木に「呪いをかけられた松」が存在するのであれば、一大事です。
今回は、そんな六本木の歴史に隠された謎を調査したいと思います。

六本木という名前の由来は、本当に「6本の木」だったのか?
六本木という地名の由来として、最もよく知られているのが「昔、この場所に6本の松の大木があった」という説です。
実際に港区の公式資料でも、この説が紹介されています。
ところが、不思議なのはここからです。
6本の松があったという話は残っているのに、肝心の「いつ、どこに、どのような松が生えていたのか」ということが、はっきりしていないのです。
しかも、江戸時代の六本木は現在とはまったく違う風景でした。
現在の六本木交差点周辺には小さな集落があり、その他の大部分は武家屋敷や寺社の土地だったとされています。
今のようにビルが立ち並ぶ街ではなく、自然が多く残る土地だったわけです。
それだけに、目印となる6本の大木が存在したとしても不思議ではありません。
しかし、「6本の松があった」という言い伝えと、それを証明する記録が残っていることは別の話です。
今では世界的にも知られる六本木ですが、その名前の始まりについては、意外にも決定的な答えが見つかっていないのです。
これは、6本の松が存在しては困る勢力がいたのではないでしょうか?
ちなみに江戸時代が終わり明治時代に入ると、武家屋敷などの広い土地は軍の施設として使われるようになり、六本木は軍隊の街へと変わったそうです。だから防衛庁があったんですね。旧防衛庁があった場所は、現在ミッドタウンがある場所です。

六本木ヒルズは呪われている?赤穂浪士10人が切腹した土地にまつわる不気味な都市伝説
六本木ヒルズには、かつて「呪われた土地ではないか」という都市伝説が広まったことがあります。
その話の始まりは、江戸時代にまでさかのぼります。
現在の毛利庭園がある場所には、かつて長府藩毛利家の上屋敷がありました。
1703年2月4日、忠臣蔵で知られる赤穂浪士47人のうち、岡島八十右衛門ら10人が、この屋敷内で切腹しています。
実はこれは単なる伝説ではなく、歴史上の事実です。
そして、2003年に六本木ヒルズが開業すると、その後に世間を騒がせる事件や事故が相次ぎました。
2004年には森タワーの自動回転ドアで男児が亡くなる事故が発生。
2006年には、六本木ヒルズに本社を置いていたライブドアの堀江貴文氏が逮捕され、同年には村上ファンドの村上世彰氏も逮捕されました。これって呪いなんですか(笑)
こうした出来事を、赤穂浪士の切腹や、再開発によって失われたと噂される寺社と結びつけ、「六本木ヒルズの呪い」と呼ぶ都市伝説が広まったのです。
もちろん、歴史上の出来事と現代の事件・事故に因果関係があるわけではありません。
ただ、日本を代表する近代的な高層ビルの足元に、300年以上前、10人の武士が命を絶った歴史が眠っている。
そのことを知ると、いつも見慣れた六本木ヒルズも、少し違った景色に見えてくるかもしれません。

その6本の木はどこにあった?現在も残る謎を追いかける
仮に6本の木が存在したとしたら、いったいどこにあったのでしょうか?
現在の六本木交差点でしょうか。それとも六本木ヒルズの周辺でしょうか?
実は、この謎をさらに複雑にする話があります。
『新修港区史』には、かつて六本木五丁目5番の北東角にあったイチョウと、六本木三丁目15番の南西角にあった、幹が6本に分かれたイチョウについて記されています。
特に後者は面白い存在です。
6本の木が並んでいたのではなく、1本の木から6本の幹が伸びていたというのです。
ここまで、読んであなたは、「六本木」という名称が、かなり適当につけられたとガッカリしたに違いありませんね。しかしよくよく冷静に見ると、この「六本木」という名称は、かなり天才的で唯一無二のネーミングだと言わざるを得ないことが見えてくるのです。
ちなみに
| 地名・読み仮名 | 所在地 |
|---|---|
| 一本木(いっぽんぎ) | 埼玉県比企郡川島町 |
| 二本木(にほんぎ) | 東京都西多摩郡瑞穂町 |
| 三本木(さんぼんぎ) | 青森県十和田市 |
| 四本木(しほぎ) | 埼玉県日高市 |
| 五本木(ごほんぎ) | 東京都目黒区 目黒区 |
| 六本木(ろっぽんぎ) | 東京都港区 |
| 七本木(しちほんぎ) | 埼玉県児玉郡上里町 |
| 八本木(はちほんぎ) | 群馬県安中市原市の小字 |
| 九本木(くうぎ) | 千葉県鴨川市西の小字 |
| 十本木(じゅっぽんぎ) | 福島県南会津郡南会津町静川の小字 |
全て実在します。
ですが、六本木だけがなぜか親しみやすく感じるの気のせいでしょうか?
口にしやすいことがわかります。
ちなみに、こうしたイチョウを地名の由来に結びつける説も登場しましたが、港区史では後世に生まれた説として扱われています。
さらに、現在の六本木一丁目から七丁目までの町域が成立したのは1967年。
それ以前の六本木は、現在とは町の区分も異なっていました。
つまり、現代の地図を見ながら6本の木を探しても、そもそも探す範囲が正しいとは限らないのです。
六本の松だったのか、巨大なイチョウだったのか。
名前だけを残して姿を消した木々。その正体は、今も六本木の謎として残されています。
六本木の由来は、6人の大名の名前だったという説もある?
ここからは、少し変わった説をご紹介します。
六本木という名前は、実は木とは関係なく、6つの大名家の名前から生まれたという説です。
その6家とは、
上杉(うえすぎ)
朽木(くつき)※人気漫画ブリーチで護廷十三隊六番隊隊長の朽木白哉が有名ですが、「くちき」ではなく、正しくはくつきです。
高木(たかぎ)
青木(あおき)
片桐(かたぎり)
一柳(ひとつやなぎ)
この六家をよくご覧ください。
上杉には「杉」、朽木・高木・青木には「木」、片桐には「桐」、一柳には「柳」。
つまり、6家の名字には、いずれも樹木を表す文字が含まれていることがわかります。
この6家の屋敷が付近に集まっていたため、その名前にちなんで「六本木」と呼ばれるようになったというわけです。
なかなか面白い説ではないでしょうか?
しかも、港区立三田図書館の調査によると、古い『麻布區史』には、この6家の武家屋敷に関する記録が実際に存在します。
ただし、6家の屋敷が地名の由来になったことまで証明されているわけではありません。
それでも、大名の屋敷が立ち並んでいた土地柄を考えると、興味深い説です。
もし、この説が正しかったとしたら、六本木という名前は自然の風景からではなく、江戸時代の武家社会から生まれた地名ということになります。
謎は深まるばかりですね(笑)
六本木の「芋洗坂」は、本当は別の場所にあったという不思議な話
六本木交差点から麻布十番方面へ下っていく「芋洗坂」。
六本木を知っている方なら、一度くらい通ったことがあるのではないでしょうか。
ところが、現在多くの人が芋洗坂と呼んでいる道は、もともとの芋洗坂とは違っていたというのです。
港区の資料によると、本来の芋洗坂は、朝日神社の先から旧麻布警察署の裏側へ上っていく道を指していました。
現在、六本木交差点へ直接つながる道ができたのは、明治時代以降のこと。
その新しい道を芋洗坂と呼ぶ習慣が広がったというわけです。
ちなみに「芋洗坂」という名前にも、いくつかの説があります。
付近に芋問屋があったという説や、芋を洗って売る市が開かれていたという説などです。
さらに、この近くには「饂飩坂(うどんざか)」という坂もあります。
こちらは、江戸時代に松屋伊兵衛という人物のうどん屋があったことに由来すると伝えられています。
芋洗坂に、うどん坂。
現在は飲食店が多く集まる六本木ですが、江戸時代から食べ物にちなんだ坂の名前が残っているというのも、どこか面白い話ですね。
しかし、仮に芋関連のお店があったとすれば、老舗ポテト屋くらいはあってもおかしくないと思います。これはガセネタでしょうか?まさに知らんけど!ってやつですね(笑)

なぜ六本木は、武家屋敷と軍人の街から日本有数の夜の歓楽街へと変わったのか?
現在の六本木からは想像しにくいのですが、かつてこの街は軍人たちが行き交う場所でした。
江戸時代には大名や武士の屋敷が集まり、明治時代になると陸軍の施設が置かれます。
戦前には歩兵第一連隊や第三連隊が駐屯し、六本木は軍隊と関係の深い街となっていました。
ところが、第二次世界大戦が終わると、街の性格が大きく変わります。
旧日本軍の施設がアメリカ軍に使用されるようになり、周辺には米兵や外国人を対象とした飲食店、バー、ナイトクラブなどが増えていったのです。
この変化が、現在の六本木につながる大きな転機となりました。
1954年には俳優座劇場が開場し、1960年代には「六本木族」という言葉も広まります。
芸能人や文化人、外国人などが集まる街として知られるようになり、夜の六本木はさらに存在感を増していきました。
そして現在では、高級クラブやレストラン、ホテル、国際的な企業などが集まる街へと発展しています。
興味深いのは、夜の歓楽街としての六本木が、最初から計画されて生まれたわけではないということです。
戦争、占領、外国人の流入、文化の発展。
そうした時代の変化が重なり合って、今の六本木が形づくられたのです。
たしかに言われてみれば、外人も多い気がします。
六本木周辺には、抜こうとしても抜けない不思議な石が存在した?
六本木から麻布十番方面へ向かう永坂の周辺には、かつて「脚気石(かっけいし)」と呼ばれる不思議な石が存在したと伝えられています。
この石は「要石(かなめいし)」とも呼ばれ、麻布七不思議の一つに数えられています。
言い伝えによると、石があったのは五嶋家の屋敷の門前。
そこに塩を供えて願い事をすると、足の病気が治ると信じられていたそうです。
ところが、困った問題がありました。
石が道路の邪魔になっていたため、移動させようとしたところ、どうしても動かなかったというのです。
掘っても掘っても根元が現れず、地中の奥深くまで続いているかのようだったと伝えられています。
結局、明治時代になって地上に出ている部分が取り除かれたものの、巨大な根元は地中に残されたという話まであります。
もちろん、これは古くから伝わる言い伝えであり、地中に何が残っているのかまでは確認されていません。
それでも面白いのは、ただの邪魔な石が、いつの間にか病気を治すと信じられる存在になっていたことです。
昔の人々にとって、この石は単なる石ではなかったのでしょうか?

六本木の近くには、6人の落ち武者を弔ったという松とは別に「呪いの松」の伝説もあった
六本木の南側、現在の元麻布には「一本松」と呼ばれる場所があります。
この一本松には、驚くほど多くの伝説が残されています。
その一つが、平家の落ち武者にまつわる話です。
源氏に追われた6人の平家の武者がこの地に逃れてきたものの、力尽きて命を落としたというのです。
村人たちは5本の榎と1本の松を墓標にして弔い、それが「六本木」という名前の由来になったという伝説です。
さらに一本松には、別の恐ろしい話も残されています。
江戸時代の地誌『続江戸砂子』には、嫉妬深い女性が呪いをかけるため、松の木に釘を打ちつけたという伝承が記されています。
嫉妬深い女性…なんとも恐ろしいですね(笑)
ほかにも、源経基が衣服を掛けたことから「冠の松」と呼ばれたという話や、武将たちの首を埋めた塚の目印だったという説まであります。
一本の松に、これだけ多くの話が集まっているのです。
なお、落ち武者の伝説に登場する松と、元麻布の一本松が同一の木だったことを裏付ける確かな記録はありません。
現在の一本松も、古くから植え継がれてきたものです。
それにしても、華やかな六本木のすぐ近くに、こうした伝説が残っているとは意外ですね。

六本木の名前の由来がわからないこと自体が、江戸時代から謎だった?
ここまで六本木の名前にまつわるさまざまな説をご紹介しましたが、最後に最も興味深い話があります。
実は、六本木という名前の由来は、江戸時代の人々にとっても謎だったというのです。
江戸時代後期の紀行文『十方庵遊歴雑記』には、六本木の地名の由来について、地元の古老に尋ねても、はっきり説明できる人がいなかったという趣旨の記述が残されています。
そこで著者は、大名の屋敷に由来する説や、江戸六方と呼ばれた伊達男たちの「六方気」という言葉が変化した説などを考えました。
しかし、どちらが正しいのか結論は出していません。
つまり、200年ほど前の江戸の人々でさえ、すでに六本木の名前の始まりを知らなかったわけです。
さらに『文政町方書上』にも、昔6本の松があったと伝えられているものの、その時期や場所はわからないという記録が残されています。
ここまで来ると、六本木という名前は、私たちが想像する以上に古い時代から使われていた可能性も考えられます。
世界的にも知られる街になりながら、その名前の由来は今も謎のまま。
六本木には、そんな不思議な一面があるというわけですね。
貴女がもし、この記事をお読みになったのなら、高級クラブで働いてみることに興味を持っているかもしれませんね。それならクラブローゼ公式LINEからお問い合わせくださいね。

